任侠の歌

どんなに淋しい時でも
どんなに悲しい時でも
エスさまがいちばん
エスさまがいちばん

(折り返し)
たとえそれが どんなばあいでも
エスさまが いちばん
エスさまが いちばん
だってイエスさまは 神さまだもの
だってイエスさまは 神さまだもの
どんなに泣きたい時でも
どんなに叫びたくても
エスさまがいちばん
エスさまがいちばん
*折り返し
どんなにいじわるされても
どんなに苦しめられても
エスさまがいちばん
エスさまがいちばん
*折り返し
「イエスさまがいちばん」
(友ようたおう 2番)
詩 若色和夫・曲 松岡和弘
 
 

ēli ēli lemā sabachthani

エリ、エリ、リマ、サバクタニ

 

強烈すぎる言葉

 

我が神、我が神、どうしてお見捨てになったのですか。

 

 

小さい時十字架のシーンを聖書で読んだ。

可哀想だと思った。

タイムスリップできるなら助けてあげたいと思った。

 

でもある日気づいてしまった。

自分は助ける側の人間ではないと。

 

私は架ける側の人間であると、

唾を吐き、キリストを十字架に架けたのは私だったということに。

 

そんな私にイエスはこう言う

「どうか彼らをおゆるしください。彼らは自分で何をしているのかわからないのです」

 

そう、私は自分が十字架にかけたことすらわからない愚か者。

 

そして究極の言葉

「エリ、エリ、リマ、サバクタニ。」

 

精霊がいなくなった心に、究極の苦しみ。

 

我が神、我が神、どうしてお見捨てになったのですか。

 

こんな想いを、苦しみをさせてしまってごめんなさい、そしてありがとう、と

そう言うしかないのです。

暴論でしょうか、いいえ、だれでも

幼い頃、親に「なんで?」っていろいろ聞くと思う。

単純に疑問がある時とか、意見に納得いかない時とか。

親がクリスチャンだと大体こんなふうに返ってくる

聖書にそう書いてあるから」

なんか暴論だよなー、って思ってた。

これって説明になってる?って。

 

でも説明なんていらないもんなんだよね

論破王のヒロユキが、「どんな口下手な人でも議論で論破できる方法がある」と言っていた

 

方法は、「法律でそう決まっているから」

と言うことだそう

あー、なんか聞いたことある言葉…

「これ言われたら反論できないんですよ」

だって。

そう、この言葉は説明なんて要らずにシンプルに論破できてしまう。

 

日本にいるなら日本国憲法の中で生きている

そのルールに従って生きる。

 

聖書の中に生きるなら、聖書に従って生きる。

「聖書にそう書いてあるから」

と言われたら、ぐうの音もでないのだ。